○○○○○???

○○○○○とは、専門職と言う意味だから「いい履歴書が書ける人」と言うことになるんじゃないだろうか。「職人」は無口で転職しそうもないが、「○○○○○」は雄弁でヘッドハンティングされそうだ。つまり、社外で通用するのかどうかという視点で考えました。

・自分の仕事や業績を部外や社外の人にもわかりやすく説明できる。そのために説明できるようないい業績を積んでいく
 ちょっといやらしいのですが、たぶん、○○○○○とはこれに尽きる気がする。無理に蛇足を足せば、
・会社の前例ではなく、社会の常識で考える・・・弊社ではこうだった、ということは外では役に立たない
・常に最新の情勢を学び、新しい発想で仕事をしなければいい業績として、履歴書に一項目付け加えられない。
・しかし挑戦、冒険だけでは終わって、肝心のプロジェクトが不振に終わってはいい業績とはいえない。落としどころを見つける必要もある。
・責任を共有する・・・外に出れば、属する会社や部の代表として見られる。きちんと説明できるためには、社の動きを知ることも必要。特に会社は報道機関として、メディアとしての責任を問われる。

ところで、会社が提起した「○○○○○であれ」の単純な反対語「アマチュアやゼネラリストであるな」とかを想起すれば、モノゴトは皮肉に見えてくる。

つまり、アマチュア精神で、何事にも初心者、チャレンジャーのような新しい気持ちで、いろいろダメもとで試してみよう! いつも見直そう。やりたいことを大事にし、とことん追いつめてやってみよう。

という精神性より、

社内のルールを守れ、あまりむちゃくちゃに残業するな。コスト、人間関係などいろいろ制約があってもその中でうまくやれ。過程より結果、言い訳すんな

という価値観を感じる。一歩間違えば、

手柄穫りに走っちゃったり、前向きにいろいろ冒険しなくなっちゃったり、他人の職分に口を出さなくなったり

という誤解を生みそうだ。そうならないようにしなくては。

「○○○○○でありたい」とは、自我(自尊)の欲求(自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求)に過ぎない。これが満たされて初めて、次のステージ、自己実現の欲求(自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求)に進める。これこそ、コンテンツ制作の核となる創造者に必要な欲求だ。

「○○○○○であるべし」という宣言は、「創造的活動」を言い訳にした怠惰に対して、不寛容になるぞということでもあるのかもしれないが、○○○○○でありさえすればいいのか。いや、そもそも自己実現欲は高いのかもしれない。後はせめて○○○○○らしく振る舞ってくれということなのだろうか?

そもそも「○○○○○」はどういう文脈で語られることが多いか?
・○○○○○として恥ずかしくない仕事
・そんなことでは○○○○○とは言えないね
・○○○○○としてのモラル、○○○○○意識
つまり元々「底上げ」を狙った「後ろ向き」な議論なのだ。

だから、挙げた5項目はもう少し夢があるものにした。