もっと3Dを評価しよう

本日、3Dコンソーシアムの勉強会に潜り込んだ。会員ではないけれど、講演者付き添いと言うことで…。

大口氏の話はいつものように面白かった。3D映画が飛び出し、脅かしでオーディエンスを満足させられるのは1年半が限界。その後、質がよくならなきゃブームは終わる。もともと3Dは高いし、メガネは邪魔。そのデメリットを補って余りあるほどの質が必要なのである。B級でも3Dなら客が来ると思ったら大間違い。その上で、3Dには形状が分かる以外に、(1)サイズがリアルに感じられる。(2)質感が高い。(3)複雑なシーンでも理解しやすい。というメリットもある。今後の質向上には飛び出し、奥行き以外のこうしたメリットを活かさなければいけない。

私はたまたま2年ほど前から3Dの仕事をしている。こういうふうに急に3Dを仕事にしている人は多いのではないだろうか。そんな僕らはいい3Dを作るために、何がいいのか、何をやっちゃいけないのか、いろいろ勉強してるけど、結局は俄か勉強の仲間ウチの評価で方針を決めざるを得ない。

山脇さんの講演にあった、テレビは人権侵害など気にしすぎ、いつの間にか建前の話しかしなくなっていて、本音が感じられるのはソーシャル・メディアの方になっている、と言う話。3Dにもいえることかも。安全、安心だけの話がどんどん進んでいて、ガイドラインから独自ルールがどんどんエスカレートし、視差を抑え、視聴可能年齢が上がっていき、激しいカメラワーク、短いカット編集を遠慮した結果、放送されているのは街歩きや舞妓さんやそーっとワークする音楽番組ばかりだ。安全なだけの3Dに価値があるわけない。

安全側だけではなく、どういう3Dが面白いのかもっと語るべきだ。

太田さんのQXDでは評価サービスも行っている。QXDは3Dが体験として素晴らしいかどうかを評価したいと言っている。河合教授は、まだ我々は3Dを評する十分な語彙を持たない、と言う。

今日の勉強会はソーシャル・メディアについて。3Dコンソーシアムがソーシャル・メディアも使って一般に3Dの普及をというのがきっかけだったらしいが、3D映像を共有できるサービスはYouTubeの3D対応で、3Dコンソーシアムとしての独自対応は必然ではなくなる。

しかし僕は、3Dコンソーシアム会員の方々が、長らく3Dに携わってきた肥えた目で、世の中の3D映像をどんどん批評して、新しい語彙で見方や見所を教えて欲しい。

それが多くのクリエイターにフィードバックしていけば、それこそ本当に3Dの質の向上になっていくんじゃないかと思うし、聴衆の見方も変わってくるのではないかと思う。いい3Dを高く評価したいし、そもそも何がいいのか、もっとよく考えるべきだ。SONYはカルバーシティに制作者の勉強センターを作ったが、何がいいか。まだまだ研究が必要だ。

その情報交換のために、ソーシャル・メディアは実にうまく使えると思う。
僕もせっせと3Dを見て、せっせと批評を述べていきたい。