おふくろさん騒動

森進一のおふくろさん騒動は著作権のいい教科書だ。著作権とは絶大な権利。著作権者は自らの著作物を好きな媒体に許諾し、拒むことができる。

一方で森進一がつい言っちゃった「もうあれは森進一の『おふくろさん』になっちゃってますからね・・・。へへ。」も片側の真実なのだろう。音楽という芸術は、作者と演者と観衆が作り出しているのであり、作者だけのものではない。会社は株主のものだけではない。株主のものであると言う側面があるだけだ。著作権と言うことに、ときどき納得いかないのはこのためだ、と思う。

法律はそういうことを定められない。しかし安心して良い。それを日本的なバッシングが補完する。判決でよくある「既に社会的制裁を受けている」と言うやつだ。アメリカではむしろ法的に勝ったかどうかより、いかにメディアの同情を集められ、露出出来たか、が「勝ち(=儲かる)」なわけで、ひっくり返り過ぎなのだが。

川内氏は、被害者のように振る舞う森の三文芝居には付き合っていられない、と言うが、それこそみんなの見たいものだ。謙虚な者が好まれるのではない、不遜な者が疎まれるのである。これはもう、師匠も弟子も涙流して詫び合い、喉を詰まらせつつ絶唱する「おふくろさん」で大団円、くらいでは、とても納得できない。

ところで「おふくろさん」って、そんなに名曲なんですか? 知らなかったなぁ。