iPod

「〜論」が語られるほどの製品を作ってみたいものだ。Appleはそれに成功した。
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20050202101.html
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20040227202.html
商品を礼賛する大学のセンセイって言うのも気持ち悪いもんだが・・・。(そういえば、瓶子君もiPodが大好きだ。)そこに面白い主張が一つあった。iPodにより「個人化された公共の空間」。そんなのはウォークマンからあった。日本ではもちろん、エレベータで目線が泳ぐように、満員電車内などという空間を受け入れたくはないから、その空間からの遮断のため、自分の中におりて行く。新聞や本より場所をとらない。アメリカでだって、iPod以前からCDプレーヤを持ってジョギングしたり、エクササイズしたりしている。
なぜiPodは社会現象か。いろいろ考えはある。しかし面白いのは、なぜその人がiPodを持っていることがわかるかである。ポケットに隠し持っているのは、他社のMP3(アメリカではプレーヤー自体をMP3と呼ぶ。)かもしれないし、CDウォークマンなのか、カセットテープのウォークマンなのかはわからないはずだ。ヒントは二つ。一つは見せて持っているということ。アメリカ人の習性か収納はしないことが多い。まあカッコいいということもあるから見せびらかしたくもなるだろう。でも大事なのは手は二つしかないわけで、持っている、外に見せているということは、日本より「ながら度」が低い、集中しているわけである。もう一つはヘッドホンがインナーイヤーで白いこと。白はAppleの色になっている。
ハードディスクを持ち歩くことがこれほど自然になっているこのインフラを有効に生かす手段は、Appleが握っている。音楽、写真だけではないはずだ。ゲームというコンピュータがこれほど家庭に浸透しているインフラを有効に生かす手段を、SONYが握っているように。家電の魅力はデザインより新しい生活提案だ。しかし遅れればMicrosoftの大量資本投下にやられる。XboxWindows Media Center。