人「間」

匿名だから荒れる、誰もがネガティブになりがちで、ちょっとの言い方の間違いですぐ喧嘩になっちゃう2chを見て、インターネット社会って匿名で暗いな、って思ってたから、mixiがポジティブ・ゲームになっているのは素晴らしいと思った。やっぱり実名主義っていいのね。

というと、すぐに反論が返ってくる。

「実名じゃないじゃん」

確かにTwittermixiでは実名を明かさない使い方も普通だ。Facebookはたいていの人が実名で使っているような気がするが、それだって担保されているわけではない。だからポジティブ・ゲームが実名主義によって発生しているとは言えない。

仮説1 あれはネット人格の「実名」である。

そのハンドル名の人が、ネット上での関係を深めていった結果どういう人だか分かっているわけで、それは実名である。

仮説2 ポジティブ・ゲームは「実名」ではなく、ユーザ間に関係性があるために発生する。

それを捨てることができないからである。まさに人は個人では生きられず、人と人との間に人間生活は発生するのだ。これってコミュニタリアニズムですか?

書いてみたら、二つとも同じことを言っていた。

でもTwittermixiで相手を思いやる言葉遣いが横行するのは、誰だか分かっているからという面もたぶんにあるかも。完全に相手を特定されないのなら、暴言も吐いたりしますかね。

ヤフオクがポジティブ・ゲームなのはなんか前向きじゃないでしょ? 点数つけられてるから、っていう強迫観念みたいな。なんか無理していいことしてるみたいじゃない?

で、最近思うのである。TwitterのフォロワーやFacebookのfriendが増えて、好き勝手なこと言えなくなったなぁ。と。だからblogに書くようになった。辿って来れないわけじゃないけど、これなら相手のタイムラインやニュースフィードにいきなり現れるわけではないから。