「僕たちの戦争」に見る右傾化

だいぶ前の朝まで生テレビで、武見敬三の言に東大の高橋が突っ込んでいたが、靖国かそれに変わる施設を敬うと言うことは、過去の英霊の死を、次の戦争に利用すると言うことでもあるのだ。

ちょうど1か月前、TBSでやってた「僕たちの戦争」は、現代の若者と戦時中の若者が入れ替わると言うあらすじだった。戦時中から現代に来た若者は、敗戦を知り残念がるが、当初こそ、英霊はこんな日本を作るために散ったのではないと嘆くが、後半では、平和ボケもいいものだと思ってきている。一方、戦時中にまぎれた現代の若者は、先輩が現代の彼女の祖先だと知り、彼女を守るために、先輩の身代わりになる。簡単に言うと、現代のちゃらちゃらした若者たちだって、愛するもののためならちゃんと死にます。それが戦争という表現であったとしても、きちんといい仕事しますよ。それって美しいでしょう? といっているように感じた。

タカ派の嫁と意見が合わない。
拉致や麻薬や偽札や収容所は確かに悪いが、謝れって言ったって、向こうにも論理があるだろう。完全に俺たちが100%悪かったって土下座してくることってあり得ないでしょう? 窮鼠に猫をかませることの方が怖いと思うんだな。かっこわるくない拳の振り下ろし方を教えてあげる方法を探す方が有益だ。
戦時中の日本って、世界からこう見えたんだろうなと。思う今日この頃。あの朝鮮半島の人たちって、だから痛いんでしょ。見てると。
韓国の人がいつまでも怒っているけど、どうしたらいいんですかね、って、大学のころアスキーの西さんに聞いたら、言ってた。「いつまでも謝るしかないんじゃないかな。」 謝ることが出来る、余裕のある大人でありたい。その方が平和だから。